株式会社帝塚山夢工房 代表取締役/建築家 村尾泰史株式会社帝塚山夢工房 代表取締役/建築家 村尾泰史

一緒に人生を作り、寄り添っていくのが
建築家の役割だと思うんです。

先人が大切に育て上げてきた
「幸せ」のカタチを
建築を通して次の世代へ。
建築家
株式会社帝塚山夢工房
代表取締役
村尾 泰史

かつては大手ハウスメーカーに籍を置き、神戸・六甲アイランドをはじめ数多くの大型都市計画にも携わってきた一級建築士・村尾泰史氏。2005年の独立以降は建築家として自らが生まれ育った大阪の阿倍野・住吉エリアに拠点を定め、「住む人の人生に寄り添う」をテーマとした独自の家づくりを続けている。朝日放送の人気番組『大改造!!劇的ビフォーアフター』にて「匠」としての出演経験も持つ同氏の、仕事の本質に迫った。


家屋、マンション、オフィスビル、商業店舗、公共施設…。日常生活をするうえで、「建築物」は欠かすことのできない存在である。ところがあまりに身近すぎるためか、これら建築物が果たしている非常に重要な役割について、我々が考えを及ばせる機会はほとんどない。現在、大阪の下町エリアを中心に多くの住宅の新築・リノベーションを手掛け、気鋭の建築家として注目を集める村尾泰史氏は次のように言う。

家屋、マンション、オフィスビル、商業店舗、公共施設…。日常生活をするうえで、「建築物」は欠かすことのできない存在である。ところがあまりに身近すぎるためか、これら建築物が果たしている非常に重要な役割について、我々が考えを及ばせる機会はほとんどない。現在、大阪の下町エリアを中心に多くの住宅の新築・リノベーションを手掛け、気鋭の建築家として注目を集める村尾泰史氏は次のように言う。
「人が幸せになるための舞台、それが家」と語る村尾氏

 建築物って、決してただのハコではないんですよ。実は、そこに集まった人たちの心を1つに“まとめる”不思議な力を持っている。分かりやすいところでいうと、教会や神社などの宗教建築物は、遠い昔から、訪れる人の信仰心を1つにまとめるための場所でしたよね。これは現代でも同じことです。例えばカフェなら癒しを求めて集う人々の心をまとめる空間だといえますし、住宅ならそこに住む家族の心をまとめる役割を担うのが建築だといえます。共通の価値観を持った人を一箇所に集め、その心をまとめて、さらに育て上げていく。これこそ、建築物が本来果たすべき大きな役割だと考えています。

 そのうえで僕がライフワークとしているのは、建築物の設計を通して、「人が幸せに触れあえる場」づくりをしていくこと。ですから、設計に取り掛かる前には必ず現場に行き、新築・リフォームに至った状況などを、極めて詳細にヒアリングするところからスタートします。用途のこだわりだけでなく、ご本人の生い立ち、ご両親の生い立ち、家族構成、将来の見通しまで。要するに、施主さんと一緒に将来的な幸せの在り方を考えていく作業ですね。家をどんなデザインにすれば、そこに住む家族が笑顔になるか、を自分の中で鮮明にイメージできるまでデスクに向かってひたすら熟考を繰り返します。

イメージがうまく浮かばない時は、何度でも現場に足を運び、ご家族との対話を重ねます。時には、施主さんと一緒に街を散歩したり家具屋に行って好きな家具をみたりして、建築のイメージを一緒に広げてみることも。何気ない会話や好できなものを一緒に見る、そんなとりとめもない時間の中にこそ、その人の価値観がよくあらわれると思うからです。

「そこに住む家族が笑顔」を鮮明にイメージできるまでデスクで熟考を繰り返す
自身の心を整理するため、毎朝仏壇に手を合わせることを日課としている

建築家という職業は、ともすれば芸術家やアーティストに近い存在だと思われがちだ。確かに、世界的建築家と呼ばれる巨匠たちの“作品”には、奇を衒っただけのように見えるような作品も多い。果たして建築家=アーティストという図式は成り立つのだろうか。村尾氏が考える建築家の使命とはなにか。

 たとえば僕の工房の近くに、「住吉の長屋」と呼ばれる安藤忠雄氏の初期の代表的建築物があります。この辺りによくある3軒続きの長屋の真ん中を切り取り、コンクリート打ちっぱなしの外観を持つ非常に特徴的なデザインが採用されているんですね。問題はこれを奇抜なだけの芸術作品だと捉えるか否かです。僕はノーだと思うんですよ。

 この建物が竣工された1976年は、戦後の高度成長期がひと段落し、日本社会全体が次のステージへと進む時期でした。安藤氏は前時代の代表格のような「長屋」に手を入れ、中庭を設けたり、採光や通風に工夫を凝らすなど、限られた空間の中でも住人同士が調和を図れるようなデザインを採用しました。つまり建築デザインを通して、「空間が限られていても、人と人とが向き合って暮らすこと。これが来るべき新時代の本当の豊かさだ」という強烈なメッセージを、当時の日本社会に送り出したわけです。

 これこそまさに建築家の存在価値だと思うんですよ。現在は大阪の街には外国人も増え、少子高齢化や貧困問題なども取りざたされるようになり、「幸せ」の定義は当時とは大きく変わってしまいました。でも本質的な部分は同じこと。社会全体やその建物を使用する人に対して、幸せのあり方を提案していくのが、建築家の果たすべき使命だと思っています。

建築家という職業は、ともすれば芸術家やアーティストに近い存在だと思われがちだ。確かに、世界的建築家と呼ばれる巨匠たちの“作品”には、奇を衒っただけのように見えるような作品も多い。果たして建築家=アーティストという図式は成り立つのだろうか。村尾氏が考える建築家の使命とはなにか。
「三年日記」には村尾氏がその日、その瞬間に感じたことが赤裸々に綴られている

建築を通して幸せを生む――村尾氏がこの考え方にたどり着くまでには、どのような過去があったのか。聞けば、独立前の大手ハウスメーカー時代の経験が大きな影響を与えているのだという。村尾氏が同社に入社したのは1988年のこと。それから独立を果たす2005年まで、約17年間をハウスメーカー所属の建築士として過ごした。

 もちろん新築・リフォーム住宅を中心に手掛けていたのですが、会社が大手だということもあり、日本各地での大規模な都市開発にも数多く関わっていました。極論をしてしまうと、当時の僕の仕事は、日本のいろいろな場所に同じような街並みを作り上げていくというものでした。大型マンションや分譲地を中心に据え、近くにコンビニを誘致したり、歩道にきれいな街路樹を植えたりして…。この仕事を繰り返すなかで、ある時1つの疑問が浮かんできたんです。「自分が本当にしたい家づくり、街づくりはこれなのか。もっと愛着が持てる場所にエリアを絞って、仕事をしなければならないのではないか」と。担当エリアがあまりに広く、本当にそこに住む人の立場が理解できているのかを不安に感じ始めたわけですね。エリアを狭めれば、きっと仕事の濃度も上がるはず。そう考えて、自らが生まれ育った大阪の阿倍野・住吉エリアで事務所を構えることを決意しました。

 2005年の独立当初は仕事も少なく、今まで自分が背負っていた大手という看板の存在の大きさに改めて気付かされた毎日でした。そんな自分にとって大きな転換点となったのが、2008年にイタリアで見た、ある1つの光景です。ミラノの街角を歩いていると、ふと気づいたんです。イタリアでは建築デザインが日常に自然と溶け込んでいると。古い建物だけでなく、お店のディスプレイも、通りに植えられた花も、行き交う人々も。すべてが建築デザインにナチュラルに調和している。住む人が本当に楽しみながら、デザインに積極的に関わっているんですよね。「建築デザインとは、喜びや楽しみの延長線上にあるもの。」このことに気付かされてから、自分自身の仕事の進め方も大きく変容しました。

建築を通して幸せを生む――村尾氏がこの考え方にたどり着くまでには、どのような過去があったのか。聞けば、独立前の大手ハウスメーカー時代の経験が大きな影響を与えているのだという。村尾氏が同社に入社したのは1988年のこと。それから独立を果たす2005年まで、約17年間をハウスメーカー所属の建築士として過ごした。
村尾氏の考えに共感するパートナーと定期的にミーティングをおこなっている

2011年には『大改造!!劇的ビフォーアフター』に「匠」として出演。この経験により「自分の建築デザインがいかに人の人生を変えるのかを、改めて実感した」と村尾氏は振り返る。以来、建築家としての知名度も飛躍的に上昇。今では非常に多忙な毎日を過ごす同氏だが、あの日ミラノで生まれた、「建築で幸せを」という信念だけは決して揺らぐことはないという。そんな村尾氏を突き動かす原動力はどこにあるのだろうか。

 たとえばここ大阪の街には、2000年を超える歴史があると言われています。そして2000年前にも確実に「建築物」は存在していました。先人たちがどのような想いで建築をデザインし、そこで人々がどういう幸せを育んできたのか。それを考えると、僕自身が何かを変えるのではなく、彼らの信念を引き継ぎいだ家づくり、街づくりをしていきたいという思いが自然と湧いてくるんです。

 だから建築デザインを考える際には、そこに住む人の30年先の将来にまで考えを巡らすようにしています。30年というのは、住人の方に子どもができたとして、彼らが十分に大人になるまでの期間。その間の幸せの舞台づくりを僕がお手伝いさせてもらうんです。もちろん、30年以上先の未来は、子どもたち自身が別の建築家と新たな幸せの方向性を定めてくれればいい。僕の役割は、過去から受け継いだものを途切れさせることなく、未来へと繋げていくことです。そしてこの思いを突き詰めていきさえすれば、未来に対して必ずいいものが残せると信じていますし、僕が住む阿倍野・住吉の街が“世界一”幸せな街になっていくはずだと確信しています。

親から子、子から孫へ。
幸せのバトンが繋がっていけばいい。

村尾 泰史(むらお やすし)
村尾 泰史(むらお やすし)
村尾 泰史(むらお やすし)
プロフィール

1965年、大阪府生まれ。大阪工業大学建築学科を卒業後、大手ハウスメーカーに建築士として入社する。2005年、生まれ育った大阪・帝塚山の地に「帝塚山夢工房」を設立。2011年には法人化を果たし、周辺エリアの新築・リフォーム案件を数多く手がけてきた。常にニュートラルな立場から施主と接することを心がけ、気持ちを平安に保つために月に数度は近くの住吉大社に参拝を行うのだとか。現在は、平成を生きる人たちに幸せを提供する住宅ブランド「大和の社」を展開し、草の根から阿倍野・住吉エリアの景観づくりに取り組んでいる。

事業所概要

社名 株式会社帝塚山夢工房
住所 大阪市阿倍野区西田辺町1丁目20-36
URL http://t-yumekoubou.com/